私たちは、前よりも、少し高い場所から地面を眺められるサイズになった。
相変わらず飛行機は、頭上遥か上空を進んでくけれど、ずっと向こうだった空は、今じゃ、少しだけ近くに見える。
世界のすべてが、ミクロのつながりによって出来てることを知っていた頃、私たちは、物を細やかに見える目を持っていた。
昆虫の複眼が、凄くキレイで。
一枚の花びらの中にも、たくさんの色があって。
雨粒のひとつひとつの輝きも奇跡で。
道路のアスファルトだって、小さなつぶつぶの集まりだった。
そして今、大きくなった私たちは、飛び飛びのデジタルみたいな、物の見方をする。
マクロの視点は、俯瞰(フカン)という成長の一部だけれど。
大人という生き物は、意識的に見ようとしないと、すぐに見落とすように出来ているから。
世界が、幾つもの極小の存在の集まりであることを忘れないように。
こんなにも、つながりあって出来ているというおもしろみを、感じて生きてくこと。
きっと奇跡的な心情になれる〜。
いろんなおもしろみを感じて生きてきたのに、成長すると見落としがちだね。
移住と定住の話にリンクしてる。
感じる旅にでたい 笑顔
あなたの文章は、いつも、暗号の様。
言葉が、いつも足りないので(笑)、謎解きの様。あはは
(もちろん、非難しているわけではないからねー!笑)
時は、満ちる。
それは、確か。
無理矢理、コトを運んでも、余計に綻ぶというもの。
ちゃあんと来る。
然るべき時。
それこそが、ベストのタイミング。
もっと、飛べるのです、そういうときって。
私は、そろり、ラオスへ向けて。
いやあ、ほんとに、同窓会とかに行くと、実に、「三つ子の魂、百まで」なんだって。
つっくづく思うねえ。笑
性悪だった子は、やーーーーっぱり、性根が腐ってたりね。あはは
穏やかだった古は、やーーーっぱり、心地良い。
なんだろうね、外見はいかに代わっても、
人生にどんなに変化が訪れても、、、、
思考が変化しようとも、魂の性質って、変わらないのかなあ??
実に、興味深いことです。★★★
でも、言葉が足りないってのは、もしかしたら、言語に頼らない、コミュニケーション方法を多用しているからかもしれないよ。
・・・って、これまた、いい考え方!笑
でも、俗世向けではないので、ある程度は、言葉を重ねた方が、いいのかもね。いひひ
自分なんてものは、あらゆるものをなくしても、消えない。
それこそ、なにも怖がることなく、変身を楽しんでみたらいいねーーー。
ワクワク!
明日が、穏やかでありますように。
感謝と、、、如意!