夕方の街を歩きながら、私の脳は、それをついに定義した。
アート。
それは、信念の表現のことを指すのだと。
むしろ、信念こそをアートと呼ぼうと決めた。
この世には、アーティストと呼ばれる人々がたくさんいるけれど、本物は、予想以上に少なくて、
光を浴びない辺りに本物のアーティストは多数、潜伏していたりする。
毎日、絵を書いているのが、アーティストではなくて、
毎日、写真を撮っているのが、アーティストではなくて、
毎日、音楽を作っているのが、アーティストではない。
それは、食べたいという切望があって、フォークで食べるか、箸で食べるか、選ぶのに少し似ているのかもしれなくて。
目に見えるものを答えだと思うのは、トラップ。
結局は、表現のツールを選んでいるだけで、それは、なんであってもいいのだと思う。
もちろん、最適を選択しているとは言え。
表現に至るためのコアが、何よりも大切で、
心の内にある信念や切望を具現化したものが、個々の表現となって目に見える形になる。
人は、それこそをアートと呼ぶべきじゃないかな。
いくら、テクニックだけを、磨こうとしたって、それは、アートじゃない別物。
誰かの賛同如何に関わらず、私はこう考える。
アートはそんなに難しくない。
ただ、考えても答えはないというだけ。
それは、生きざまを見せてる、シルエットだから。
本物のアーティストになんて、簡単にはなれない。
だからこそ、いつも感覚を鋭くして、私は、適切の最上級の表現方法を探す。
いつかは、完全にそういうものを体現している人物になれたらなって。
研ぎ澄まされたマキの感覚を、
揺さぶる自分で在り続けたいと思います。
どーぞヨロシク☆
軽ッ!!!!笑
人生を終えるときには、してやったり!!!の顔で、逝きたいと決意しております。
うひひ
イーサンが、よろしく哀愁なんてゆってるの、聞いたこと無いよ〜☆
それって、どういう時に使ってる言葉なのか、7年間くらい謎です。