殺す気はないのに、殺してしまっただとか。
そんな事件を、知るたびに、私は戦慄を覚える。
「責任感など、もとより考えていないので、責任などは取れません」とでも言いたげな、凄まじい態度。
もちろん、「殺す気があって殺す方が、良い殺人だ」などと主張するつもりは毛頭ない。
殺人は、どれも同様に大罪で、以上でも以下でもないのだから、当然。
けれども、そういった意識の不行き届きこそが、何よりも有罪だと、私はいつも思う。
自分の行為が、引き起こすことを想定しないまま、引き起こされるその結果の非情さ。
ただし、その仕組みは、犯罪に限らず、とても身近な生活にも同じく適用されていて、
不足する想像力と、蔓延した意識怠慢の停滞が、さらなる被害者を出している日常。
軽々しく放った言葉や態度が、人を痛めつけていたのだとしても、
その意識がないのだから、取りつく島も無い。
人として、何かを、この現実世界に産み落とすなら、
それの毛細血管の先の先の細部までも、丁寧な配慮と意識をもって、しかるべき。
私は、現代に巣食う、なにやら不穏な欠乏を目にするにつけ、
「殺す気なく、殺してしまう殺人が、一番怖い」と、人に話す。
忠告などという、大それたものでもないけれど、罪のレベルがいかに違うのだとしても、
無意識の無責任が、誰かを痛めつけているということの、哀れを嘆きつつ。
世界を構成する細胞の、すみずみに染み渡るほどに、繊細な配慮を忘れる事なかれ。
日々の事件と大罪。 暴言を吐くのはレベルが低いから? レベルの高い人は、配慮が足りている? いや高低の話じゃなくて、お互い平民だからこそ、 平地のルールなり、マナーをわきまえなさいということか。 私たちは皇帝ではない。 ... more