その大切な想いも、世間のより広いレベルになるにつれ、排他的な不信に変換されつつ。
結果として、意に反して、途方も無い愚行につながっていたりして。
たとえ、誰一人として、悪気などないのだとしても。
そのもどかしさに、答えもなく、私は、なにかの糸口を掴みたくて、思考する。
と、どうしても書きたくなりました。
人に自分の理想を求めるという愚行。
大好きだから、私の大好きな人のままでいてもらうよう、その人に理想を求めるのはタブー。
もどかしいところもぜんぶ含めて、その人なのだから。
あなたのもどかしいところに、ばんざい。
私のもどかしいところにも、ばんざい。
私の大好きな人は、ずっと大好きなままにいる。
そうなのよ!!
悪気なくても、人は、殺せるからね。
その想像力の無さが、私には、逆に、なにより罪だと思う。
「悪気」という感性が、培われなくてはならない。
私の器、伸縮性にしよーーーっと。笑
わーーーー、なんて、すばらしい!
よかったねー。
人は、歳を取るにつれ、どんどん、閉じて行くものだし、糧にするのは、自分の経験だから。
肝心の経験が、足りていないと、コミュニケーションが、ますます難しくなったりするものだけど、
本当のところを、きちんと伝えてあげるというのは、
愛情に満ちているなあと、私は、思いました。
お義母さんが、どんなリアクションを取ろうとも、その言葉を受け取ったという経験は、少なからず、残るはず。
人生の途中で、新しい家族として出会うというのは、
また、お互いに、学びなさいよってゆう、ことだったのかもね。
他のシチュエーションでは、絶対に、繋がり合わないような人たちが、繋がるもんね。
お義母さんは、お★さまと会えて、よかったなあ、、、
グッジョブ!!