我らが先祖に繋がるのではと思(おぼ)しき、「三枝城」跡のお寺「宝積院」を訪れた。
※「三枝城」は、長寛2年(1160年)、三枝氏により築城され、十代、210年余りに渡り、居城とされていたものの、
永和3年(1377年)の落雷による火事で焼失し、城主も、別の地に移り、城を構えるに至ったと、伝えられている。
さて、どんな探訪になったのか。
どうぞ、御覧あれ。
電信柱までもが、サエグサを名乗る、ここの住所は、「姫路市夢前町前之庄三枝草」。
漢字は違えど、“三枝草”と書いて、これまた、“サエグサ”と読むらしい。ホッホーウ!
なんなら、この樹に、かれこれの歴史のあれこれを、是非とも取材してみたい。
お寺の入り口までは、この坂道を少しばかり、テクテク。
写真左下に見える、細長い案内看板には、『史跡 三枝城跡と的場山宝積院(観音寺)』の文字。
別の面には、以下の解説文。
『宝積院は天台宗の寺院で、天安2年(858)玄常上人の開基とされる。
明王寺谷にあって松尾山明王寺と呼ばれていたが、寛文年間(1661~1673)に現在の三枝城跡に移り、的場山宝積院と改称された。』
立派なお寺が、堂々姿を現した。うわぁお、スバラシ!
三枝家の家紋(三階松)は、どこにも見当たらないというのに、武田家の家紋(四つ割菱)が、片っ端から、瓦に!
しかも、窓のカタチまでもが、菱形!
どんだけ、武田びいきなん?!と、ツッコミたくなるほどのタケダ・フェス。(笑)
やはり、三枝と武田には、何かしら特別な由縁があるに違いない・・・と、確信を深めつつ。(⇒)
ますますの謎解きの愉しさに、心、踊る。
見下ろす、外界の面白味! まるで、時空の旅人気分。
かつて、おじいちゃんと一緒に、お遍路を廻ったときのトラウマにより、「寺」=「歩く」のイメージが、こびり付いているのか、
「寺」と聞くだけで、あからさまに、テンションを落として来るのが、この御老人、とよ子(おばあちゃん)!(笑)
この日も、当然、寺に興味など、1ミリもない。
[左上] 帰る段になって、やっと、元気を出し始める。娘のみよ子を探しているところ。「みよこは?」
[左下] 信心深さ皆無の彼女の気持ちを、代弁。「寺なんか、どっちでもええねん。」
限りなく核心を衝いているであろう、この言葉。(笑)
[右上] にっこり!人形的な何かを持つと、いい笑顔が出る仕組みらしい。「マーサー・ガーサー」と一緒に。
[右下] いかに「どっちでもええ」かが、テキメンに表現されている一枚。(笑)
坂道を下り終わるまで、娘・みよ子と、孫・ダイチに、手を引かれていたはずが、
車が近付くやいなや、猛烈な勢いで、二人の手を引っ張り出すという、分かり易さを発揮。早く帰りたい一心!
揺るぎない、「とよ子の流儀」!
ちなみに、そんなおばあちゃんは、後に、「三枝氏」を臣下とした「赤松氏」の系統を母に持つ、家柄の出身。
いやはや、奇遇!
その上、さらに奇遇なことに、私が、化粧水として愛用している天然水も、まさに、この地に湧き出る水!
それとは知らず使い続けて、かれこれ10年以上。
ナルホド、相性が、イイ訳ダ!
人生のあらゆる所に蔓延る、シンクロニシティ。
すべては、本来、そういう風になっている。
嗚呼、いい旅!
⇒「旅 + おでかけ」一覧/⇒「ALBUM」リスト/⇒「三枝家」あれこれ/⇒「歴史」の項
⇒とよ子の流儀あれこれ
いやもう、とよ子の「どっちでもいい」のレベルは、そんな範疇の話ではありません。(笑)
常人のそれなど、遥かに凌駕!
なんせ、本当に、今を楽しむということの出来ない人物。
世界に誇る、トヨコイズムなわけです!恐るべし~♪
会えばさらにガッテンするでしょう。
今日も、いい日を。