365日という一年の長さは、大切なことを忘れないようにするため、見事に、計算された長さなのかもしれないと、時々、考えたりする。
季節は、何度も巡り、18年の歳月を経て、また「震災」の日になった。
「3.11」を体験するまで、私にとって、唯一だった震災、・・・「阪神淡路大震災」。
もう、見なくなっていた悪夢に、約10年ぶりに襲われて、恐ろしさに震え、呼吸浅く、目が醒めた。
それが、私の感じた異変の予兆だったのだろうと、後から振り返って思った。
その数時間後、震災が、起きた。
16才だった私は、きっと、いまよりもずっと、言葉を知らず、上手に使いこなすことが出来なくて。
名前のない感情を、怖がったから。
あの頃、手に負えず、封じ込めた感情は、決まって、この時期になると、涙になって溢れて来る。
輪郭すらない、ただ、重く苦しい、塊。
上書きを失敗したデータのように、どこか、歪な記憶を、私は、いつか、美しく取り出すことが出来るのだろうか。
再び誓うのは、「生きている」・・・、その感触がある限り、私は、この命を全うしてやるのだということ。
使命を果すべく、日々を、生き抜いてやるのだということ。
言葉にならない想いと、強い祈りを込めて、目を閉じる。
黙祷。
間もなく、2年目の「3.11」が、やって来る。
[1.17]⇒「第13回:大根を考える日」(2008)/⇒「●●●●●●●●●●●●●●」(2009)/⇒ 「15」(2010)/⇒「16回目の刻を見守るしきたり」(2011)/⇒「「1.17」17年目の黙祷」(2012)
⇒これまでの「写真とことば」/⇒「震災」の項
わ、まさかの夜更かし子!!!(笑)
「ト。」の写真を連想する者がいることは、お見通しであったぞー!いひひ
でも、違います。
あれは、カラス一羽が、カー。
これは、電線の絡み合いが、ストーリー。
と、中間からのコメント返し!
どうしたんだーい。
眠れないなら、私に、お預けなされよ。
私はね、この頃、考えています。
もしかしたら、人は、人生の中で、何度も、小さな死を迎えるんじゃないかって。
それは、もちろん、生まれ変わるために。
ありふれた言葉を使ってしまえば、ターニングポイントなのかもしれないけれど、
そこで手に入れた、新たな感覚で、生き直すということ。
そう思ったらね、また、未来が頼もしくなったりするのでした。
もうちょっと、自分の中で、まとまったら、ブログにアップしてみようっと。
眠りは、小さな死として、明日を、まっさらに生き始める。
なんだか、すごいなあ。
すると、夜型子も、早寝せねば、変身時間を損してしまう!
中途半端な睡眠だと、変身の途中になってしまったりしてねー!アハハ
穏やかな夢、見られますように。
まだまだ、ほんと、まっだまだ、果たすことが、いっぱいだ。
そっか、まあ、立派だもんねー!希有!!
私は、ますます磨くとしよう、その秘められたる力。
光から闇の振り幅のすべての場所に於いて、楽しむことを誓います。
いつでも、なんでも話してね。
お気になさらず、私は、なんでも愉しいのです。
それはそれは、おつかれさまなことだったね。
ゆっくり、休み下さい。
全ては、然るべきタイミングが訪れるようになっているから、
その時が来たら、完璧にステキな感じで、電話でもなんでも出来ることでしょう。笑
穏やかな夢を見られますように。
しっかり、朝寝坊できますように。
ダイジョーブ。(P.フォンダでもない)
だいじょーぶ。(セロリはよく喰う)
きっと、いや、必ず取り出せる。
何度も死を迎え、何度でも世界は終わり、
何度も「世界の終り」を経験してのち、
「本物の言葉」は獲得される。
かくして、円環は閉じられる。閉じられ、また開く。
「世界の終り」の始まりを生きる者よ。
古内東子!!!!!?という名前を久々に聞き、その印象の強さのあまり、
テキストを読み通してもなお、心の中は、古内東子であったというトラップ。
くっそう、括弧の中など、無視すればよかったものをーーー!
ありがとう。
どんな発掘作業になるのかと、どうやって取り出してやろうかと考えていると、
あれもこれもが、むしろ楽しみになって来て。
遭遇するであろう痛みまでもが、未知の類いなのかもしれないと、胸を踊らせていたりする。
終わりの始まり。
まさに、それを考えていた。