「#0:1945年」、「#1:2012年」の『原爆ドーム』に続くは、『広島平和記念資料館』。
たったの50円という、申し訳なくなるほど、安い入場料を払い、久々の原爆資料館内へ。
現在では、子どもの頃に、見学した記憶のある"本館"だけでなく、"東館"にも展示が増設され、かなりの見応え。
当時を想像したり、想像に疲労したりしながら、じっくりじっくり、観ていると、遂には、閉館時間になってしまった!
広島に残された、途方もなく興味深い、記憶の数々。
[1]. 平和式典の起こりは、終戦の翌年(1946年)。町内会連盟が、中心となって開催した「平和復興市民大会」だと知り、驚く。
人々の逞しさ、そして、「世界平和は広島から」と、スローガンを掲げる力強さに、感銘。(これは、記念すべき、第一回大会の写真。)
[2+3]. 原爆が落とされる前と後の、街の様子。生活の賑わいが、想われる街並(2)と、あらゆるものが吹き飛ばされた焦土(3)の、コントラスト。
[4]. 「黒い雨」の痕跡。
[5].原爆ドームの模型の柱には、歴代の広島市長が、昭和43年以降報道された各国の核実験に対して、表明した抗議文のパネル。
[6]. ピカドンの惨状をを伝えるための、画文集。グッドデザイン!
資料のどれもに、私は、感情を揺さぶられ、"過去"を眺めながら、同時に、"現在"、そして、"未来"を観た。
また、見学の途中には、いきなり、「突然博士」(と、命名することとなる人物)に、頼んでもないのに、やたら詳しい解説を受けるという、
ありがたくも、サプライジングなハプニングで、学びを深めるなど、(笑)
時を越えた、あまりにも、濃密な"ひととき"を過ごした。
強く感じたのは、「それでも生きていく」「惨禍を、繰り返してはならない」という、広島の人々の切なる想い。
そして、未来へと、一歩一歩を踏み出した、勇敢な姿。
それに反して、全てを広島に任せて来た、国家の無責任。
抗議文など、広島が「市」として発表するに留まらず、日本が「国家」として、堂々と世界に抗議して、しかるべきことだろうと、私は、憤りすら覚えるほどに。
所詮は、広島の声に耳を傾けず、別方向に、富と強さを夢見た、国家の盲信。
犠牲者の視線を忘れた、復興という、何か、他のもの。
今、「棄民」などという言葉が、おぞましくも、しっくり来てしまう、我が国のフクシマへの姿勢が、否が応にも、重なった。
⇒「ゼロ地点の旅:#0 広島・原爆ドーム 1945」
⇒「ゼロ地点の旅:#1 広島・原爆ドーム 2012」
⇒「[DAILY STUDY] すでに2000回以上の核爆発を体験した地球」/⇒「2011年を表す一文字は「核」である」
⇒これまでの「DAILY STUDY」/⇒『3.11』トピックス
[Blog Bingo 2000:DAY 11] Today's nunber is...「28」!=広島市の市外局番の逆。 /⇒「BLOG BINGO 2000」関連トピックス
物価、おかしいんじゃないかと、久しぶりに思った瞬間!
いやいや、もっと徴収して、保存に役立てて下さいと、心底、、、思いました。
なんで、あんなに安いんだろうか。
地球のメッセージは、いつでもシンプル。
耳をすませる、謙虚さ、常に持ち続けなきゃと。
自分にも、言い聞かせます。
そして、真摯に生きることッ。
ひとつは、広島の平和記念資料館。
展示されている写真や資料を見るにつけ、あの日起きたことのすさまじさと、
現実を知らなすぎる自分に吐き気を催す。
広島の人々の核への思いはすなわち、日本という国の思いであるはずなのに、
他人事のような対応しかしてこなかったこの国。
あまりにかけ離れたそのギャップに、もう一度吐き気を催す。
もう一つは、沖縄の沖縄平和祈念堂。
中に入ると、平和祈念像の前にひれ伏し、額を床にこすりつけて祈りを捧げる
一人の女性の姿があった。
沖縄も、米国から日本への返還という形式的なセレモニーはあったにせよ、
実質、国は沖縄に対して何もしてこなかったと言えるのではないか。実際沖縄は、
米軍上陸に際し、軍(国)から最終的に見捨てられたに等しい扱いを受けている。
核の問題は広島に全て押しつけ、基地問題は沖縄に全て押しつけて、現実から
目を背けてきたのが、この国の実態なんだろう。
特に最近は、強くそう思うことが多い。(続く)
俺は、全国すべての小学校、中学校、高校において、修学旅行(名目は何でも)の
訪問先として、広島、沖縄を義務化してもいいくらいだと思う。それぞれの年齢に
応じた目で、3回にわたって繰り返し見ることでようやく、この二つの場所の意味を
理解するスタート地点に立てるのではないだろうか。
日本の全ての国民、政治家、官僚は、もう一度戦後日本の出発点に立ち返って、
ゼロから始める覚悟して欲しいと思う。
原子力開発(核)はいったん全てを凍結する。日米安保は、いったん白紙に戻して、
今、この時代に必要な日本の安全保障の形を、改めて構築する。そうしなければ、
私たちの時代はなんとかごまかせても、いつの日か取り返しの付かないところまで、
追い込まれてしまうような気がする。以上、長々とすみません。
実に、実に、その通りだ!と、読みました。
「沖縄」という場所は、私は、まだ一度も訪れたことがありません。
誰しも家族旅行とかなんかで、行くんだと思うけど、
私には、沖縄に、基地を任せているということが、子どもの頃から、とてつもなく私には、理不尽に思えて、
現地の人に申し訳なさすぎて、遊びになんて行けないって思ってきたからだろうなと。
ずっと、私の根っこにあるものを、掘り出して、今また、感じました。
でも、遊びじゃなく、知るべき現実に対峙する場所として、訪れねばならないね。
修学旅行案、大賛成!!
あ、修学旅行じゃなくても!
うん、私たちの立ち返る場所は、京都や奈良というよりも、むしろ、広島、沖縄なのかもね、第一に。
立ち止まるという覚悟こそが、本当に、必要。
最近、ネイティブアメリカンの7世代先のことを考えて生きよってゆう、あの考えが、よく頭を過ります。
ありがとう。思考の糧。
でも、沖縄には決して望んで欲しいとは思わない、基地があります。日本の米軍基地の75%があると言われますが、75%という数字は何が基準なのでしょうか。面積?兵力・戦力? それさえも、我々国民は知らされてません。沖縄に行ったら、まず戦争の傷痕を、くまなく見て回って下さい。遊ぶのはそのあとで十分です。自分がいま、ここに遊びに来られるのは、島民の偉大なる犠牲があったからこそ…を噛み締めてください。そこから、更に広島に思い馳せてみて下さい。きっと、あなたの中で、何かが変わるはずです。
うん、必ず行ってこようと思う。
きっと、変わるであろう、また新たな視野との遭遇が、頼もしい。
うちのおじいちゃん、戦争の時、船に乗っていて、
沖縄の崖から、女の子たちが飛び込むのを観たんだーって、数年前、初めて話してくれました。
60数年て、人間にとって、どういう長さなんだろうか。
まだまだ、まだまだ、知るべきことが果てしないなあ。
ご指南、ありがとう。