心が汲々として、余裕を無くす時、他人の好意までも悪意と取り違えてしまうほどの、浅瀬に打ち上げられながら。
干涸び寸前の乾いた気持ちは、行き場を失って。
一方向だけにしか進めないかのように錯覚し、極小の箱の中で、悲嘆する。
そこが、世界の片隅でしかないということを、スッカリ忘れてしまったままで。
ただ、それはたぶん、私たちの習性。
まっすぐに進もうとすると、つい袋小路にだって、迷い込むもの。
けどそれは、生きているからこそ、巡って来るサイクルみたいなもの。
それもまた、残念ながら人間味の一部と受け止めて、自分を嘆くこともそこそこに、鳥の視野を思い出して。
いつもより、ずっとずっと深く深呼吸。
"世界は、ここだけじゃなかったんだ"って、当たり前の現実を、もう一度、思い出したのならば、
遥か遠い上空から、自分を眺める、静かで壮大なマインドトラベルを決行。
深い瞑想で、生まれ変わる朝のように、再び、たっぷりの水を蓄えて、ゆっくりと再始動を。
自分を追い込みすぎることは、もう止めにして。
そんなに世界は、狭くない。
⇒これまでの写真とことば
ぼくが外に出なかったら当然そのトラップにかかったままだった。
時代遅れだとか臆病だとかの陳腐な理由をつけて日本で捨てたものが、外では結構大事にされていてほっとすることはある。
どこに生きてても世界に行き詰まりを感じる道理はないね。
タカさんが、そのトラップから抜け出してくれたおかげで会えたんだなぁーーーーーーって、思うと、
そのトラップにすら、感謝したくなります。笑
抜け出してくれてありがとう。
外に出ると、やっぱり、私はとても日本人だなあと思います。
外見は、ちょっと間違えられたりはするけれど。うふふ
「気」が生きていないと、もちろん、前進することは出来ないのだけれど。
緩めることなく、張り続けると、今度は、意図せず、突然、プツリを切れてしまうから。
自らに与えるのは、そういう気になった場合こそ、ブレイクの呼吸。
イエス。
そして、次の瞬間には、細胞の隅々にまで、新鮮な空気を染み渡らせてね。
自然と、表情が和らぐほどに。
すてきな週末を!