戦艦大和の沈没を目撃した人。

戦艦大和の沈没を目撃した人。_d0018646_232667.jpg
田舎のおじいちゃんとおばあちゃん。
山と山に囲まれた、自然の中に暮らす二人のかわいい写真。
おじいちゃんの才能は、芸術的なカカシづくり。⇒「ザ・カカシ」
おばあちゃんは、私のかつてのお尻モデル。
「CASIO EXILIM AVENUE コラム"EX-S770活用レポート"」(おしりは後半に!)

先日、そんな才気あふれるおじいちゃんとおばあちゃんのお宅に、こんばんわ。
そして、今回、母ですら初耳の、衝撃的な新事実に触れることになった。
おじいちゃんが誇らしげに、軍隊での活動を讃えられもらった賞状の「写真、撮っとけよ」と私に言ったことに端を発し、
戦争時代のことを教えてくれたから。

***

当時、若かりし日のおじいちゃんは、戦艦大和と、常に行動を共にする船に乗っていた。
ある時、空にいっぱい敵機がやってきて、爆弾を落としまくった。
大和は、何千もの人を乗せたまま、沈没した。
上官たちは、小舟に乗って逃げようとしたけれど、海に投げ出されたその他の人たちの舟はない。
なんとか助かろうとして、その小舟にしがみつく彼らに、上官たちは、日本刀を振り下ろし、容赦なく斬り殺していた。
それはそれは、酷い景色だった。

沖縄にアメリカ軍が上陸してきた日にも、ちょうど出くわした。
女学生たちは、殺されるならと南の海に飛び込んでいった。
本当にかわいそうで仕方なかった。
命は惜しくないけど、敵が来たらとりあえず逃げるしかないと思った。
船に乗って逃げた。

肩書きだけで威張っていた上官たちは、下の者たちをいじめていたから、すごく嫌われていた。
戦争が終わってしまえば、そんなことは関係なくなるから、終戦して本土に帰る途中にも、船から落とされていた上官もあった。

***

おじちゃんが、繰り返し言ったことは、自分は、運がよかったから助かったんだということ。
戦争はしたらあかんということ。
真面目に生きなきゃいけないということ。
表彰状の数々は、自分にとっての勲章なんだろうと思った。
想像を絶する時代を、生き抜いたんだという。

以前、聞いたのは原爆の落とされた広島に救護兵として入り、
すでに息の無い我が子を、まだずっとおぶって歩く母親にあったという出来事だったけれど、
身近な人から、こうして話を聞くことは、歴史が架空でなく、同じく人の作り出した現実であることを、痛感させてくれる。
歴史が繰り返すことの警笛を直接に、聞いているような。


「人間はなあ、やっぱり、人柄が一番大事やぞ」
その言葉が、強く強く心にこびりついて離れない。
なにを理由にしても、やってはいけないことがあって、人は、なにがあっても守らねばならないものを持っている。

ありがとう。
Commented by だいち at 2008-09-05 01:12 x
その通りや。
Commented by makisaegusa at 2008-09-05 02:13
>だいち

まだまだ、学び足りないものです。我々。
Commented by makisap at 2008-09-06 21:43 x
なんだか、ずしんときた。
耐えがたい苦しみを経験してのこの笑顔なんだね。
Commented by makisaegusa at 2008-09-07 14:12
>makisap

まきちゃーーーん!!!
私も、身近でズシンでした。
いまでこそ、笑って話せるけどって、言ってたおじいちゃんのコトバは、
ほんとに、そうだなって思わせてくれました。

そして、まきちゃん、会いたいねー。笑
by makisaegusa | 2008-09-03 23:03 | Days-そんな日々 | Trackback | Comments(4)