先日、私も、大人らしく、目的地まで間違えずに行ってみようと、自転車こぎつつのナビを採用してみたところ、
案の定、ズンズン、ズンズン。
君の言っている右は、この右ではないだろう、
君の言う左は、この場合、直進ではないのか、などと、独自の解釈を重ねていたところ。
遂に、ナビさん、しびれを切らしたか、東だの、西だの、相当な大味ナビに変更してしまった。
東とか西が、分からんから迷っているというのに、なんだ、おまえはーーーーーーー!!!と、酷いの相性の良さに、にんまり。
ナビなど、所詮、ナビなのだーーーーー!!
むしろ、絶望は、はじめるためには必要なのかもしれない。
封切りのため、諦めないということを、体得するため。
例え、絶望したとして、世界には、一ミリだって変化は起きないのだから、
どんなになっても、現実を変えるべく、しがみついて、噛み付いて、何か引っ掻き傷を残してやるのだと、
私は、日夜、虎視眈々のタンタタターンです。笑
それは、良かった。
念仏って下さい。
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あ、これも新造語ね。笑
念仏る。
活用で言うと、、、、
未然、連用、終止、連体、仮定、命令。
念仏らない、念仏ります、念仏る、念仏るとき、念仏れば、念仏れ!
ワーーー、愉しーーーい。
静かな夜を。
ぐっすり眠れますように。
私の夜は、まだまだ続くー★