友だちへのメールに、そう書いて送ったら、「凪」を「凧」と誤解され。
返信メールの的外れっぷりが、逆に、とても清々しくて、私のお気に入りになった。
どんな容量であれ、溢れた分だけ、人に与えることが出来る。
例え、いくら望もうと、自らを満たすほどにも、水が、充分でないのなら。
与えるどころか、かえって、人を傷付ける。
他人だけでなく、自分までも。
大切なのは、豊富な水量と、平穏な水面。
映し出される風景が、いつも、綺麗であるように。
自分の内側にある、凪の海を、死守する力こそを、真の強さと言っても過言ではないほど。
強靭な精神は、穏やかさと共に在り。
内界の大海は、外界を包み込み、癒すだけの力を宿している。
すべては、「凪」より、生まれ出ずるもの。
秘められた能力も、限りない才能も。
当然、凧を天空に届かせる、強風もまた。
⇒これまでの「写真とことば」/⇒「凪」の項
うつくしい・・・・・
わたしも、みたい
ね!
でも、本物は、こんなもんじゃないのが、自然界。
だからこそ、自分の目で見なければね。
私は、いつも、写真よりも脳裏に焼き付いたイメージの方が、もっと、ずっと強烈なので、
ムダと知りつつも、もいっかい戻って、撮り直したいと思うくらいです。いひ
「見たい」もね、「見る」に変えて言い切ってしまうと、大概、現実になるよ。笑
さてと、そろそろ戻る準備をせねば。ぐふう、、、
穏やかな夢を旅していますように。
あはは、そうだ、油断大敵ッ★★★
如意!!
・・・とは、良い言葉の栄養を自分に与えることに始まるもの。
人生をかけて与えられて来た、よからぬ言葉の洗脳を、自ら解くこと。
どんなにかかってもね、その後には、とんでもなく開けた道があるよ。
如意、如意、如意!
こちらこそ。