大人になってから知ったのは、うちの両親が、私たち姉弟を、この信条の元、育てたらしいということ。
「100人が、右だと言っても、自分が左だと思うなら、迷わず左に行け。」
その環境は、子どもたちを、こういう人間に、成長させるらしい。
(・・・私や弟を、ご存知の方は、すっかり、ガッテンしただろう。笑)
本人無自覚にして、周囲からは、
「人生の切り開き方が、尋常じゃない」だの、「こんな経歴は、聞いたことがない」だのと言われがちな、
私の奇妙な人生ルートも、もしや、その辺に、起因するのやもしれぬ。イヒヒ
笑えと言われ、必死で作り笑いを試みる、気遣いの出来る、姉のマキ。対する、弟ダイチは、ナーンニモ考えなさげな、無邪気な笑顔。クぅ!(笑)]
子どもは、大人たちの言葉の、ずっと奥を見通す感性を、豊かに持っていて、その目は、本性を容易く見抜いてしまう。
だから、多くを語るより、ひとつの信念ある「生きざま」を示すだけで、"何か"を伝えるには、充分なのだ。
「100人が、右だと言っても、自分が左だと思うなら、迷わず左に行け。」
この言葉を、反芻するとき、私は、いつも。
「異を楽しめ。独自に思考せよ。」、、、そう言われているような、気になる。
たとえ、また、この言葉が、再び、その輪郭を失おうとも。
私の感覚上に、一生、留まり、私の輪郭を整え、正し、導き続けてくれるのは、そんな、波動の力なのかもしれない。
もしかしたら。
独特の存在であること。
すなわち、それが、人生の自在。
⇒これまでの「写真とことば」/⇒「言葉」の項/⇒「記憶」の項
⇒「三枝家」の項/Enjoy!!⇒「三枝一家式『ルビンの壷』マニアッククイズ(解答付)」
他個でなく自己なのだ。
蛸味タコスより烏賊味ドンタコスなのだ。
人間はカンガルーの脚なのだ。
我が家には、そのようなポリシーは一切無かったと思うが、しかし俺もMakiと同じような思考回路を持っているらしいことに、最近気づき始めたところ(@^▽゜@)ゞ
マキがダイチみたいやもん、違う!ダイチがマキみたいなのか・・・
(。-_-。)やっぱり似てるということで(笑)
なんかさ、料理名みたいと思って、「頑張って作り笑いを見せる、気遣いの出来る姉マキと、 何も考えてなさげ、ただの無邪気な弟ダイチのフォトを添えて」美味しそうじゃない?(笑)
シンプルに自分を生きよう!という言葉が浮かびました。
ありがと☆
君、、、、「ジャイアニズム」をご存知??
"オレのものは、オレのもの。オマエのものも、オレのもの!!"のアレー。笑
その領域より外ならば、どうぞ、すべて、あなたのご自由に。
古い記憶と、苦しさの種。
気付いたならば、もう、別のルールを、自分の栄養にね。
エンジョイ!
さもなくば、明日など、不要なのである。
※ おばあちゃん、この前、実家に電話したとき、ちょうど、お風呂から上がって来たタイミングで、少し話したよ。
いつ帰ってくるんー?って、訊くから、29日って答えると、とっても嬉しそうでした。
何して遊ぼうかなあ、おばあちゃんと!!ワクワク。
ちっちゃい頃の私を知る人は、どこに、あのほっぺが消えてしまったのかと、言います。アハハ!
ほんと、どこに行ったのかなあ。
こんなに、まあんまるだったのに!
しぼんだのかなあ、、、あ!!!
メダカの子どもみたいに、ほっぺの栄養で、成長した説?!うふふ
それはそれは、栄養たっぷりだったようだ。
ほっぺマニアさまの、お眼鏡にかなうとは、光栄至極ナリー!うふふ
たとえ、その先に、未来がなくとも、他人に流されて選んだ結果じゃないなら、着地できるね。
もしも、自分じゃない者に委ねた結果が、それだったとしたら、不時着すら出来ないもの。笑
自分の足の下には、いつでも、自分の意志があるのが、快適!
アユ!!
絶対に、騙されてるってー。
「・・・を添えて」部分だけが、美味しそうなのであって、その前、完全に人の解説やん!笑
うん、シンプルがいいわ。
どれほど、シンプルを心がけようと、やっぱり、知らないうちに、要らないもの、どしどしくっつけてるものだから。
常に、シンプルをイメージしながら、要らないもの、落っことしながら、進んでくのが、身軽だね。
アユ、年末、実家帰るのー?
出ましたっ!!!
ようこそ、トラベラー!
今日は、どんな空を観た??
2012年12月21日。
ラオスで買った、ドライフルーツのお茶を飲んでいます。
あったかで、ホッとする味。
・・・如意!
おばあちゃんは、きっと、今日もゴクゴクとビールを飲んでいることでしょう。
★★★
命尽きるまでに、その想い、解き放てたら、すごく爽快だろうに。
とっても軽くなる自分を想像してみて。
いいねー、ウフフ♪
自分なりに考えた結果何かしらの結論に辿り着くということは、やはり何かしら未来に向かっているのではないか、それがたとえ命を投げ出すことであっても、人を殺めることであっても、やはり未来につながっているのではないかと思います。